妙顕寺 (京都市)
妙顕寺 | |
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所在地 | 京都府京都市上京区寺之内通新町西入妙顕寺前町514 |
位置 | 北緯35度2分4.3秒 東経135度45分16.8秒 / 北緯35.034528度 東経135.754667度座標: 北緯35度2分4.3秒 東経135度45分16.8秒 / 北緯35.034528度 東経135.754667度 |
山号 | 具足山 |
院号 | 龍華院 |
宗派 | 日蓮宗 |
寺格 | 大本山 |
本尊 | 三宝尊 |
創建年 | 元亨元年(1321年) |
開山 | 日像 |
開基 | 後醍醐天皇 |
正式名 | 具足山龍華院妙顕寺 |
別称 | 四海唱導、四条門流 |
札所等 | 洛中法華21ヶ寺 |
文化財 |
総門、妙顕寺文書、金字法華経 巻第五ほか(重要文化財) 大本堂、梵鐘、紺紙金字法華経ほか(府指定有形文化財) |
法人番号 | 9130005002144 |
妙顕寺(みょうけんじ)は、京都市上京区妙顕寺前町にある日蓮宗の大本山の寺院。山号は具足山。本尊は三宝尊。塔頭が九院ある。「四海唱導」「四条門流」とも呼ばれる。妙顕寺、妙覚寺、立本寺の三寺で「龍華の三具足(りゅうげのみつぐそく)」と呼ばれている。現住は68世及川日周貫首(本山妙覚寺より晋山・奠師法縁)。
歴史
[編集]妙顕寺は、日蓮の遺命を受けて京都で布教中だった日像が、元亨元年(1321年)に後醍醐天皇より寺領を賜って今小路(現・京都市上京区大宮通上長者町)に建立された、日蓮宗で初となる京都での本格的な寺院である。なお、師であり兄でもある六老僧の日朗から日像あての書状には「綾小路大宮の御坊」とあり、元亨以前に綾小路大宮(現・下京区)に布教の拠点があったとみられている。建武元年(1334年)には後醍醐天皇より綸旨を賜り勅願寺となり、正式に宗派として公認された。これにより、京都における法華宗の根本をなす寺院となった。
暦応4年(1341年)、光厳上皇の院宣により、四条櫛笥(現・京都市下京区と中京区の境)に移転した。翌康永元年(1342年)に備前法華の祖と仰がれる大覚が妙顕寺2世となり、法華宗の発展に大きく寄与することとなった。
嘉慶元年(1387年)に、比叡山延暦寺の衆徒により伽藍が破却されると、寺は若狭国小浜に避難している。明徳4年(1393年)、足利義満の斡旋により、三条坊門堀川(現・中京区堀川御池)に伽藍を再建し、寺号を妙本寺と改めた。応永18年(1411年)には足利義持の祈願寺となっている。
応永20年(1413年)、寺は比叡山の衆徒により再び破却され、永正18年(1521年)に、足利義稙の命により二条西洞院(現・中京区)に再建された。その後、永正・大永年間(1504年 - 1528年)に寺号を妙顕寺に戻している。
天文5年(1536年)に天文法華の乱で伽藍を焼失すると、寺は堺に避難するが、天文11年(1542年)、後奈良天皇は法華宗帰洛の綸旨を下し、堺に避難していた法華宗寺院は相次いで京に戻った。妙顕寺は天文17年(1548年)に二条西洞院に再建されるが、天正12年(1584年)、羽柴秀吉の命により現在地に移転した。そして秀吉は妙顕寺跡地に二条第妙顕寺城を築く。
天明8年(1788年)の天明の大火により焼失するが、その後再建されている[1]。
境内
[編集]- 大本堂(京都府指定有形文化財) - 1975年(昭和50年)に天井が崩れ落ち、大修理が行われた。格天井にはその時の寄進者達の家紋が描かれている。
- 龍神廟 - 八房大龍神を祀る。
- 龍神池
- 十一重石塔「寿福院塔」 - 前田利家の側室で、利常の母である寿福院が生前に建立した逆修の石塔。
- 勅使門
- 大玄関
- 方丈
- 庭園「孟宗竹の坪庭」
- 書院
- 庭園「抱一曲水の庭」 - 酒井抱一作の「観世音図」に因んだ草木が植えられている。
- 奥書院
- 庭園「光琳曲水の庭」 - 尾形光琳の作品を模して作庭されている。文献では寺のどこかに尾形光琳が作庭した庭があったとある。天明8年(1788年)の天明の大火後に作庭された。
- 宝物殿
- 宿坊
- 大客殿
- 庭園「四海唱導の庭」
- 鬼子母神堂(尊神堂) - 歴代の天皇が祈願してきたことから天拝鬼子母神と呼ばれている。
- 慶中稲荷社 - もとは宮中に祀られていた慶中稲荷大菩薩を祀る。
- 三菩薩堂(祖師堂) - 三菩薩と呼ばれる日蓮大菩薩、日朗菩薩、日像菩薩と大覚を祀る。天明の大火後に再建された際には仮本堂とされていた。
- 御真骨堂(鍾真窟) - 三菩薩の遺骨を祀る。
- 納骨堂
- 北辰妙見大菩薩
- 鐘楼 - 1965年(昭和40年)にかつて五重塔があったこの場所に移す。梵鐘(京都府指定有形文化財)は正徳3年(1713年)の造立。
- 総門(大門、重要文化財)
- 塔頭
- 久本院
- 十乗院(十乘院)
- 泉妙院 - 尾形光琳の墓がある。
- 法音院
- 恵命院
- 善行院
- 本妙院
- 實成院
- 教法院(敎法院)
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山門と参道
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参道と大本堂
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三菩薩堂
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三菩薩堂(右)と鬼子母神堂(左)
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「四海唱導之霊蹟」の石碑
文化財
[編集]重要文化財
[編集]京都府指定有形文化財
[編集]- 大本堂
- 梵鐘
- 紺紙金字法華経
- 白紙金字法華経
京都市指定文化財
[編集]- 紙本金地墨画楼閣山水図六曲屏風(狩野山楽筆)
その他
[編集]旧末寺
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日蓮宗では1941年(昭和16年)に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。
交通アクセス
[編集]人物
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本歴史地名大系 京都市の地名』、平凡社、1979年
- 河内将芳「中世妙顕寺の寺地と立地」『興風』30号、2018年、277ー304頁https://researchmap.jp/read0070296/published_papers/154881